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2012.02.10 神谷圭介
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2009.08.19 神谷圭介
新しくなった消臭元のTVCMで、「かわいくなった!」と言う森公美子さんにまだ共感できていません。
2009.05.14 神谷圭介
地主のコイのぼりがでかい。実にでかい。
孫のためにちがいない。

私自身、その地主に家賃を納めているわけだから、その自慢のコイのぼりに一役かっているのだと言ったら言い過ぎでしょうか。
しかし、でかいコイのぼりとは、子供にとっては、プレッシャーではないだろうか。
自分の子供時代を思い返せば、そうとれなくもないように思う。

「立派に育てよ」というメッセージが大きく膨れ上がっているように感じられ、地主の孫の気持ちを考えると、なんとも不安だ。私だったら押しつぶされてしまう。
もったいないです。僕にこんな大きいコイのぼりは。もったいないです。

孫に恐縮される地主も何か可哀想だ。そんなつもりはきっとなかったはずだ。ただ孫の喜ぶ顔見たさに用意したのに。なのに孫は敬語で恐縮するばかり。
残念そうな地主の顔を想像するだけで胸が痛くなる。

そんな、会ったことも、見たこともない地主のことを思いながら、でかいコイのぼりを見上げる。
ふと思い出したフレーズ。
「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」
確か、昔のニッポンハムのCMのコピーだったように記憶している。

「わんぱく」と「たくましく」って、だいたい同じ気がしてきて、なにかモヤッとする。





2009.04.28 神谷圭介
「はだかで何が悪い」
全国民に投げかけられた一斉試験。この問いに一体どれだけの人が答えられたのだろう。
我々は子どもたちに、なんとと答えればよいのだろうか。
「多分…悪いというか、ダメなんだよ。うん。悪くないよ。悪くはないけどダメ。ダ~メ!」
そんな風にしか答えられない自分だった。

似たような問いとして「どうして人を殺しちゃいけないの」があるが、
こちらには、なにか素直に考るのに抵抗があるような、ある種のカマトトっぷりを感じる。
だが、全裸の立派な成人男性が堂々と「はだかで何が悪い!」にカマもトトない。

関係ないが全裸の男に、「フリーズ!!」と拳銃をむけるポリスってなんかすっごく面白い。あきらかな丸腰に拳銃をむける。やはり全裸には、丸腰過ぎる脅威があるのだろうか。

悪くはないがダメみたい。どうしても誰が一番悪いか?という話になるのなら、アダムとイブを唆し、知恵の実を食べさせてたヘビだよ。子どもたちにはそう教えてあげよう。

2009.04.23 神谷圭介
「折れてますね」
レントゲンを済ませた私に白衣の男はそう告げました。
「え?」
「骨折ですね」
自転車で転倒してから20日以上過ぎた頃だった。
腫れがひいた頃、拳を握っても小指の骨が手の甲側にでっぱらないので不思議に思い医者にきてみたら、「折れてますね」というのだ。

「いや腫れてはいましたが、そこまで痛くなかったんですが」
「ほらここ」レントゲン写真には、まるで漫画の様なひょんな角度にカーブした小指の骨が映し出されている。
「これね、こういう小指の骨折の仕方は、ボクサー骨折とも呼ばれてて…、ボクサーがパンチをしてやっちゃうケースが多いからなんですけど、あ、でも、それは下手なパンチの人の場合そうなるものであって、うまい人だったら本来、人差し指のほうを骨折するものらしいのね、だから小指の骨折をボクサー骨折って呼ぶのやめてほしいってボクシング協会から言われてる…そんな骨折なんですよ」
「なるほどわかりました」
畜生。どうでもいい説明を受けた。でも覚えておこう。

人生初めての骨折がこんなにも、ぬめっと訪れるとは。どうもピリっとしない。
折れた!という感じがない。ぬめっと折れてた感じだ。こんなことでいいのか。
自覚がないため他人から「ハンカチ落としましたよ」と同じ感覚で告げられた骨折。

「これもう変な形でくっつき始めてるから、完全に治すなら手術ですね。どうしますう?」
「変な」とか言うなよおまえも。しかし嫌だ。手術は。手術自体、人生初になるのに。こんなぬめっと挑んでなるものか。もっと緊迫感があるべきだし「どうしますう?」なんてのんきな雰囲気で挑まれてたまるか。

「すいません、あの、手術しないと、その、私生活に支障があるような状態なんですか?」
「うーん…」
首をひねる医者。ようやく出はじめた緊迫感。そうだ。こういった雰囲気が必要だ。
「どうなんでしょうか?」
医者は重い口を開いた。
「…そうですね…まあ、プロゴルファーとして第1線でプレイし続けるのは…もう無理ですよね」
「あ、じゃあ、いいです」

ゴルフブームを痛感した出来事でした。
2009.01.30 神谷圭介
1月。もう最近では受験のシーズンを思い返すことはなくなるほど、時が過ぎました。

2年間の浪人生活で、現役をあわせると3年近く予備校で過ごした私です。
小・中・高・浪の6-3-3-2です。
そのお世話になっていた美術予備校が、改装され、今や以前の見る影もないのだと、
つい一昨日知りました。

敷地内にごったに増築を繰り返して出来ていた歪な空間はもうなく、あの汚ったないながら思い入れのあった中庭もなくなってしまったのかとメランコリックになる。様々な思い出が蘇る。
楽しかった思い出や、赤面するような恥ずかしい思い出、甘酸っぱい恋の思い出、殺されかけた思い出、逆に殺しかけた思い出、一度は死んだかと思われたが、再び蘇った思い出、体の半分が機械になった思い出、再び人間の体を取り戻した思い出、様々な思い出と作り話が交錯する。

どうやら今をときめく、佐藤柏氏により全面的に改築されたそうです。
同予備校の出身であったことを知りました。

一度更地にされピカピカのビルディングゥ~(例の読み方で)に生まれ変わったようです。

もう僕には関係のない場所になってしまいました。







2009.01.23 神谷圭介
「槇原敬之的な」

そんな才能の片鱗を、1月20日の小出メンバーの日誌から感じさせて頂きました。

彼のなかのマッキーはまだ死んでいないのだと。
本当に人が死ぬときとは誰もがその人のことを忘れることだと、そう誰かが云っていました。

そう…

マッキーはまだ、死んでいないのです。

盛り上げてしまいましたが、実際に亡くなってませんし、活動されています。

思えば、私が一番最初に自らの身銭で購入したCDアルバムは槇原敬之の「君は僕の宝物」でした。
小学5年生だかそのあたりだったように思います。今でも、歌詞カードを見ずに歌えるでしょう。

数年後、予備校や大学を経て出会った2人とテニスコートというコントユニットを始める事になりましたが、期せずして2人の最初に購入したCDアルバムは、まったく同じ、槇原敬之の「君は僕の宝物」でした。

気持ち悪いね、という話でした。


2009.01.16 神谷圭介
「いけしゃあしゃあ」

平仮名で表記すればその語感の、何とも言えない大人げなさが表現されているように思うのです。
新年の挨拶をする小出メンバーの1月12日の日誌を見て、この言葉を想いました。

この人は一体何を云っているんだろう、と。

新年の挨拶をした途端、

この人は一体何を云い出したのだろう、と。

読んだ方は、何を突然云い出してるのかわからず、きっとこの人は心の病気なのではないか、そう疑問に思ってしまう方がいるかもしれませんが、誤解がないように云わせてください。

多分、そうなんだと思います。


さて、
新年早々の1月10日、武蔵野美術大学の助手展「リニューアル展」にお呼ばれしてきました。
セレモニー的な?なにか。してきました。
レセプション?パーティー?の前座?(にしては1時間も)に、広大な図書館のエントランスのようなだだっ広い空間で盛大に、コント公演をさせて頂きました。
声をかけて頂いた運営委員会の方々、ありがとうございました。
総指揮をふるい、頑張った山田君、徹夜作業で協力していただいた学生さんスタッフの方々、本当にお疲れさまでした。

寒いなか沢山の方々にお越し頂きまして、ありがとうございました。

返り際、はじめてタクシーチケットなるものを頂き、ははあ、これが噂に聞いた事があるタクシーチケットか、と感嘆しました。






2009.01.08 神谷圭介
いつまでたっても日誌を書かずに年はあけてしまいました。
なので「あけまして…」につづけて、おめでたいことは言いづらく、うしろめたい気持ちでいっぱいです。本当です。

思い返せば「あけましておめでとうございます」なんて照れを全面に押し出しながら言う挨拶で、堂々と言えたことなんて一度もない気がします。
何か皮肉でも言っているかのような、へんな半笑いの口元でもじもじ言うので、すごくバカみたいな挨拶になってしまってると思っています。
これはきっと私が常に、「おめでたいムード」からは蚊帳の外にポジショニングしようとする傾向にあるためだろうなと思います。
思春期という多感な時代を常に教室の隅っこで過ごし、じめっとした石の裏的なコミュニティで、しっとりクスクスと生活していたからではないかと思います。
去年の暮れに妖怪検定の受験勉強中、参考書に「川男」という妖怪を見つけました。水木しげる先生の解説では、川べりの草むらで2匹、聞き取れない程度の小声で「オチャオチャオチャ…」となにやら楽しげに話しているだけの妖怪だそうです。

そうかあの頃の私は川男だったのか。そうか。

「オチャオチャオチャ…」という擬音も先生を敬愛するばかりです。
クラスの1軍が盛り上がってる様を「バカめ」と、傾斜のきつい立ち位置から斜めに見ていました。結果的に、新年の挨拶がバカみたいになってしまってる私なので、バカって言う方がバカ、といえるようです。

リトルモアさんでの公演が終了してからプツリであったこの日誌。
知人から妙な広告が出ているから書いた方がいいですよと忠告を受ける。
そういうことになるか。そうか。気をつけるよ。その場はそう納得しましたが、それがどういうことなのかまだよくわかりません。
試しに見てみたその広告のリンクたち。どういう関係なのか知りませんが
「草刈りプロ」なるリンクがありました。

いろんなプロがいていいとは思います。

何のプロでもない自分からすれば草刈りのプロの方にも、
ゴルファーや棋士の方々同様に名前の後に○○プロとつけたいと思います。

サイトにとんでみると写真があります。平たい土地だけでなく、土手沿いなどの傾斜のある場所でも見事に刈っています。中傾斜、急傾斜など、(こんな用語があるくらいだから傾斜を刈る技術はプロとして重要なのだろうか)見事に刈っています。

こうなってしまうと、川男は住処を追われる事になります。

なにか急に寂しい気持ちになりました。



2008.10.09 神谷圭介
「夜をなめていた。油断があったのかもしれない」敗戦後、そう監督がコメントする的な、そんな季節になってきた。夜がさむい。日中の気温にあわせた格好では、ああ…なめていたなと後悔する。
思い出せ冬の寒さを。
夏の暑さは冬の日々を忘れさせ、冬も夏を忘れさせる。
毎冬忘れないために思い返すのだ。寒さに凍え、霜柱を踏みながら、ふと半年前の自分を思い返してみる。

よくもまあ、Tシャツ短パンで闊歩していたなと。

考えられない。なんと非常識なのだろうと。馬鹿な子だと。本当に馬鹿な子だったと、コートの襟をたてながら赤面。でもしかたないよ。
だって夏は暑かったのだもの。という原点回帰。そんな自分会議を延々させながら家路までの寒さを忘れさせる。そんな季節が今年もいよいよです。「冬が始まるよ」と云ったのは槇原敬之だったか。
「よ」って。
「よ」は性格的に可愛げのある報告に最適で、報告せんでもよいことを成立させる力を持っているように思う。
夜をなめていたよ。ダッフルコートを着るよ。ネルシャツを買うよ。お味噌汁がおいしかったよ。豆を煮るよ。つまり煮豆よ。庭には二羽ニワトリがいるよ。これはペンだよ。足だよ。耳よ。今からご飯…よそうよ。
今まさに、ご飯……よそったよ。
冬がはじまるよ。

リトルモア地下での3回連続公演「フォルト」が終了しました。リトルモア地下さん、いろいろとお世話になり本当にありがとうございました。お越し頂きご覧になってくれた方々、ありがとうございます。なにか、ここにきて付け足すような感じに云っているなあと思う方、心がねじれています。でもありがとうございます。
本当にありがとうございました。

2008.09.20 神谷圭介
リトルモア地下での連続公演ラストの3回目が間近になってきている。
よく稽古場として用意してもらっている会議室のような部屋がある。

広い。

およそ40畳近い。中央にスペースを残し長机が囲むように配置されその周りをパイプ椅子が何脚も並んでいる。まさにに古い学校のような会議室という感じ。
無駄だ。我々には非常に無駄なフリースペースだ。
只でさえそんなに動かない芝居なだけに、スペースに申し訳がない。

ごめんなさいスペース。

きっと、まだ踏んでない所が沢山あるはずだ。
しかも、まず時間どうりには現れない者が多いためやはり無駄な感じがする。ひとりだけ時間どうりに入るのはレギュラー的に出演している山口智子ぐらいだ。
ある日到着して、ガラリとドアを開けるとドアから対角線上の囲み机の角に山口がひとりポツンとすわって居た。

カツ丼を食っている。

ガランとした40畳もある会議室の隅で、20代半ばの女子がカツ丼を食っていた。
オリジンだ。

晃晃と蛍光灯が照らす室内。しばらく目が合う。

ごめんなさいスペース。
2008.09.04 神谷圭介
「ゲリラ豪雨」
よくテレビで言われいるというのだが、最近テレビを観ていないせいでなのか私自信はあまり聞いた事がない。
同居人から聞いたこの言葉は、どうやら職場など周囲の人間が口々にしていたそうだ。「こんなに晴れているのだから今日は降らないでしょう」という言葉を発しながらも、「といいつつも…」的な、「とかいってたら…」みたいな、妙な期待感を漂よわせている。
豪雨に見舞われることにちょっとしたお楽しみ感覚があるのか。「サプライズ豪雨」と呼んでも良さそうだが、そこはあえて「ゲリラ」とし、お楽しみ感覚は表面上慎んでいるのやもしれない。「本当にまいちゃうよね」という体裁を保つことでこの「ゲリラ豪雨」を楽しんでいるのかもしれない。
そんな中、自転車移動が基本的になってきた私はついにこのゲリちゃんにでくわす。(なんなら「ゲリ雨」ちゃんでもいい)
川のような道路に滝の様に降り注ぐ雨。水中かと錯覚するほどの量の水。
「何コレ」
沸々と笑いがこみ上げてくる。度を超すと人は笑ってしまうように思う。
可笑しくて仕方ない。豪雨の中、びちゃびちゃになり笑いながら自転車をこぐ私。並走する車の後部座席の窓越しにこちらを凝視している子供に気がついた。

手を振ってやった。

風邪で2日寝込む。
2008.08.22 神谷圭介
球体の3号が発売になる。「ついに」感をたっぷり含んだ感じだ。
これまた表紙がすごい。
3という数字は日本人にとっては神様のナンバーであり、永久欠番なわけだが、昨今、世を席巻した3といえば、3と3のつく倍数の時だけアホになるという、その3だ。前ふりをしっかりと説明したうえで行われるという、流行りにくそうであったそのギャグウ。だがそれは完全に流行った。ナンセンスで、何かインテリな(数学的とかそういうんじゃないよ)雰囲気が漂っているそのギャグウ。

インテリな雰囲気を漂わせるアホ。

それがこのギャグウの鉄骨であり、他の姉歯ギャグ的なものより十分な補強が施されているように思える。
そんなモンスターギャグウで「今、完全にキかけている」時の人が表紙の球体3。3と刷られた数字の横にアホになった男の肖像。いよいよ球体がなんだかよくわからない。
それまで、わからないなりに、なんとなく手探りで掴もうとしてた者の手の上に、手の甲の上に、ソフトクリームのマシンでうにうにっとソフトを盛られたかのような感じ。手フロートにされた感じ。「あ…。ひんやり…」とそれを受け止めてしまう感じ。
全然うまく説明できない。
とにかく格好のいい表紙なのだ。
たまたま通りかかった公園にいた、妙な人がいきなりアクロバティクな動きをした瞬間を目撃できたような、何かすげえ「格好のいい転がり方」を見れた気がした。ただ、それが前転なのか後転なのか横転なのかベリーロールなのか。それはよくわからない。
そんな雑誌に参加させてもらえてることが「オモロウ」なことなのだと思います。

今月末発売の球体3を宜しくお願い致します。荒木信雄さんの建築のはなしで、吉本東京支部新社屋をてがけた話など読み応えあり。
2008.08.11 神谷圭介
リトルモア地下でのフォルト2「モザイク処理の不十分なわいせつDVD」が終了致しました。
暑い中お越し頂いた方々、まことにありがとうございます。

思えばオリンピックとほぼ同じタイミングで開幕した公演でした。
北京オリンピックの開会式もちゃんとテレビで見ました。中国という国の国力を見せつけんとした大変豪華絢爛な開会式でした。
パフォーマンス後、国旗を持った旗手を先頭に次々と入場してくる各国の代表団を見ていて思いました。小国と言われる国は知らない国ばかりで参加人数も少なく、国旗すらはじめて見るものばかり。

「この中に本当はない国があります」

そうNHKのアナウンサーが言ってくれたとしたら。
「小国でありそうな国」というお題で作られたフェイク探し。そんな邪推に盛り上がってきた同居人と私は、入場してきて少しでも、うさんくささを感じた小国へ「ダウト!!!」と元気良くエールを送りました。
疑いの目で見ると意外にも、メジャーな国も実は嘘なのではないかと勘ぐってきてしまいます。
「実は…アルゼンチン…って…」と。
やってる時は楽しかったです。
暇くらいは潰せますので4年後やってみてはどうでしょうか。

リトルモア地下でのフォルト3も宜しくお願い致します。
2008.07.31 神谷圭介
ああジンバブエ。
ジンバブエという語感は何かいい。声に出すと実に滋味深い。
日曜の夕日を眺めながら言ってみよう。

ああ…ジンバブエ。

たまらない。明日も言う。
かつて、ハウス加賀谷さんが電波少年で遺跡修復に行っていたのを覚えています。確かジンバブエの娘さんと恋に落ちていました。ご両親にも公認でした。必ず戻ってくると約束し泣きながら帰国したのが印象的だったが、その後どうなったのか。
そんなジンバブエは現在インフレで大変なことになっているそうですね。
インフレ率200万%を超えているらしいです。
インフレ率自体よく知らないのだが、200万%という数字がデータとしてピンとこない。そんなもん「元気200万%です」的なコメントでしか聞いたこともないし、「元気200万%です」に聞く耳などもっていなかったから、やっぱり聞いた事がない。
具体的には8月1日から、「100億ジンバブエ・ドルが1ジンバブエ・ドルとする」と発表したようだ。(通過単位の切り下げらしい)

ああ…ジンバブエ。

しかし、もし「この100億円、明日から1円な」って言われたら、「あ…はい」言ってしまう気がする。「この1万円札、明日から千円札な」と言われたら、そりゃ私だって猛烈に抗議する。私だって馬鹿じゃないんだ。しかし「この100億円、明日から1円な」には相手を思考停止させる破壊力がある。
先週に(この発表がされる前に)1000億ジンバブエ・ドル札が導入されたばかりのジンバブエらしいのだが、それで、買えるのは卵3個程度だったらしい。八百屋のおっさんギャグはもはや何のユニークさも持たなくなっている状況だ。「はい、お釣り3400億ジンバブエ・ドル」と。
ドイツも1兆マルクを1マルクにしたことがあるのだという。

「この100億円、明日から1円な」そうしたほうが良い。

ジンバブエの八百屋のおじさんに今一度ユニークさを取り戻させるべきだ。
ああ…ジンバブエ。
2008.07.24 神谷圭介
「ポニョポニョうるせえな!ぶっ殺すぞ!」

と怒鳴られても仕方ないほどに、私は今、ポニョを口ずさんでしまう。

「ポ~ニョ、ポ~ニョ、ポニョ、ふんふんふんふん♫」と。

道ばたで。駅のホームで。食事中に。人との会話のなかで。重要な打ち合わせ中にも関わらず。
どうにかしたい。しかし、ぶっ殺すは言い過ぎではなかろうか。

YouTubeでこの幼女の歌をヘビーローテしてしまっている事がまず原因である。
http://jp.youtube.com/watch?v=KdftF6mVXFA
これをヘビーローテしてしまっていることに強く問題も感じる。

見ながら、なんかニタニタもしている。

由々しき事態だと思う。
ジブリめ。
日本国民に根づく少女愛というウィークポイント(男女問わず)をこれでもかと突き上げてきてくるように思う。予備校時代、ドロリコン(ロリコンに強調系のドをつけられた造語)とまで友人らに揶揄された私だから尚更なのかもしれない。が、さすがに幼女にそういった視線をむけている訳ではない。何か国民全体をあの女の子の保護者にさせ、幼稚園の学芸会でホームビデオを回させられてる気分なのであり、それはつまりポ~ニョポ~ニョ、ポニョなんというかこのままではポ~ニョ、ポ~ニョ国民全体がポ~ニョ、ポ~ニョ、ポニョであるからしてポ~ニョ、まったくポニョもってけしからんポ~ニョで、今こそ国民全体がひとつになってポ~ニョポ~ニョポニョならなければポニョならんのポ~ニョでありますポニョ。

なんかすいません。
2008.07.17 神谷圭介
タイのある大学の医学部が、心臓学の授業の一環として「カラオケ」を取り入れているというニュースをみた。大学職員によると、同プログラムを取り入れて以降、最終試験の結果がおよそ30%向上したという。医学部でカラオケとはどういうことなのだろう。どうやら、このカラオケは、900ページに及ぶ教材の内容を覚えやすいメロディーと簡単な歌詞にして、歌って覚えよう的なものらしい。すでにアルバムが5つリリースされ、看護学部の学生を対象に提供されているらしい。なかでも人気曲は「心臓手術」や「心不全」だという。きっとラブソング仕立てに違いない。ハートフルしやすそうだ。
「歌にすると覚えてくれるのよ」は「ジュースにしてあげると飲んでくれるのよ」と似ている。子供か。
といっても私も小学校時代、進研ゼミの教材で九九を歌って覚えた。子供か、と言われれば、子供だ。そん時は。
当時九九が出来なければこの先には進めないという妙な圧迫感があったのを覚えている。あの歌がなければ今の私はいない。ポコとカニ丸、歌のお兄さんお姉さん先生には今でも感謝している。ただ、まだ胸をはって「僕です、あの時のテープで九九を覚えた少年です。こんなに立派になりました」と会いにいけるほど立派な大人にはなれていない。
進研ゼミは中学生に突入しても、嘉門達夫氏の歌で覚える英単語、歴史、国語の五段活用など、「歌で覚えろ」という作戦をとってきていた。しかしこの作戦は、歌わないと思い出せないというウィークポイントがあり、さすがに中学生という年代にとっては、わざわざ歌って思い出すというアホらしさがかなり重荷ではあった。でも私は小5で夢中で覚えた嘉門達夫の替え歌メドレーよろしく、水野忠邦の天保の改革を見事にスゥイングできる。嘉門のおかげだ。今どこでどうしていらっしゃるのか。
歌詞の情報量とその言葉の量感。後にラップミュージックにのめり込んだ私だが、当時のリスニングスタイルが影響してやしないだろうかと今これを書きながら思った次第です。
PS 人気曲は「心臓手術」や「心不全」には、PV、ミュージックビデオも制作されており映像には、心臓の様々な部位の図表などが登場するらしいです。
2008.07.09 神谷圭介
先週もとりあげていましたが「ビデオ倫理協会」こと「ビデ倫」。何かただ事じゃなさそうな略語だ。「朝シャン」と比べればその差は歴然だ。少し意味合いは違うが「塩ビ」にも妙な迫力がある。子供時代、どうしても欲しかったゲゲゲの鬼太郎ハウス。おもちゃ売り場に座り込み、ただひたすら箱に表記された文字をなめるように読み続けた。そこではじめて出会った「塩ビ」という言葉。付属品の鬼太郎と目玉親父の人形が[ソフト塩ビ人形]と表記されていた。
「エビ?」「塩…味の?」なかなか勘の良い子供であった私はすぐに塩味のエビというひとつの答えをだした。ソフトな塩味のエビ。そんな味のせんべいがあったようにも思えた。ほんとに勘の良い子供だった。これを「ああ、はいはい、塩化ビニルね」と正確に導ける5歳児はおかしい。賢すぎる。生かしておくには危険すぎると思われ消されかねない。だいたいビニルとはなんだ。
勘の良い子供だったから、たとえ思いついたとしても、鬼太郎がソフトな塩味のエビで構成されているとは思えず母に手を引かれながら「塩ビってなあに?ねえ塩ビってなあに?塩ビってなあに?」何度となく聞き続けながら家に帰ったのをおぼえている。
「それはね、ポリ塩化ビニル、または塩化ビニル樹脂とは一般的な合成樹脂(プラスチック)の1つで、塩化ビニルを重合したものである。俗に塩化ビニール/塩ビなどと呼ばれるが、このような呼称は単量体である塩化ビニルとの混同を生じるおそれがある。そのため、単量体である塩化ビニルを特に塩化ビニルモノマーと呼ぶことがあるのよ。」
といった説明は母からはなかった。
しかしビニルって。
2008.06.28 神谷圭介
8月にリトルモア地下でやらせて頂きますフォルト2「モザイク処理の不十分なわいせつDVD」なんですが、本編中にモザイク処理が必要なわいせつな表現などは特に含まれてないことを、前もってお伝えさせて頂きます。
エロい気分だったのに、そういうのではなかった時の刹那。これほど無念なことは他にないと思います。違いますか?
どうかエロい気分ではお越しにならないでください。
また、エロい気持ちになるな、なるな、と意識し過ぎるとよけいにエロいことを考えてしまうので注意したほうがいいです。気を抜くと校庭に入ってきてしまう犬のように、エロはすぐに入ってきます。エロぬきでこのタイトルと向き合って下さい。
これは、ビデ倫ことビデオ倫理協会のニュースで耳にした言葉でした。管理するはずであるサイドから発覚した、規定を下回るモザイク処理。そして逆切れに近い謝罪会見。そこには、モザイク処理にまつわる多くの大人たちのドラマがあったはずです。ここまで多くの人が問題に取り組んでくれたのだから、モザイクをかけられた人も喜んでいるでしょう。ですが、本編がそういったドラマではない事を前もってお伝えさせて頂きます。
2008.06.06 神谷圭介
「半地下プロレス……。」

確かに吉田君が私にそう言ったことを覚えています。
彼は確かにそう言いました。
「地下プロレス」といえば、マフィアなどが賭けの対象として夜な夜な地下で催すプロレス。どちらかが死ぬのもいとわない血なまぐさい印象があります。まさにデスマッチ。かの極真カラテ総裁、大山倍達先生の自伝「空手バカ一代」からのみの印象ですが、きっと先生がそうおっしゃってるのですからそうなのだと思います。疑わない力もまた正義なのではないかと思います。

そんな恐ろしい「地下プロレス」の頭に、彼は「半」を付けたのはどういったことなのか。

「半地下」とはなんとも煮え切らない状態です。地下と言えば地下だけど、そこまで地下でもないかなという地下スタイル「半地下」。そんな中途半端な空間で行うべきイベントではないし、場所がもっているイメージというものがイベント性を表した企画に思えていたからです。
頭につくのが「デパ」であればまだ私もわからなくもないのです。試食をたしなみつつお惣菜や漬け物臭のたちこめるなか、フロア中央のリングではデスマッチが展開される。プロレス本来の華やかさすら取り返せているように思いました。

「デパ地下プロレス…というわけにはいかないのか?」

いくかいかないかという問題ではないとは思いましたが、今では自分でもあまりいい提案ではなかったように思います。
「半地下だから…一階から少し見える。」彼はそう言葉を続けました。
地上から少し見えてしまう地下プロレス。そんな透明性のある姿勢でどうする。もっと伏魔殿的な、こう暗黒街とのつながりをもっと臭わせるような…と反論しながらも心のなかでは「見てみたい」という感情が大きくなっていました。
少し地上から見えちゃっている半地下プロレス。

彼にかけてみようと思いました。

数年がたちましたがそれ以降彼がその言葉は口にすることはありませんでした。何だったのかはさだかでありませんが、リトルモア地下さんからお話をもらい企画をやることでふと思い出した出来事でした。

リトルモア地下×テニスコート 3回連続公演「フォルト」宜しくお願い致します。



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